【自己紹介⑧】親友が日本チャンピオンに

前回のブログの続きです。

復帰を決めた僕は7月27日タイの選手と試合をして3RTKOで勝利しました。

その頃、チャンピオンの石田選手は日本タイトルを返上しました。

チャンピオンが不在の時は、上位2者で王座決定戦を行い勝った選手がチャンピオンになります。

当時の1位の選手は東洋太平洋タイトルマッチが決まっていたので、2位と3位の選手が日本のベルトを懸けて戦うことになりました。

僕のこの時のランキングは3位でした。

そして、2位は高校で一緒にボクシング部を作った中川でした。

日本チャンピオン決定戦

中川は僕より先にプロボクサーになり2005年に1度引退をしましたが、2011年に復帰。

きっかけは2009年12月17日の僕の試合(vs.工藤さん)を見て、やる気になったと言ってくれています。

中川が復帰してからはお互いに練習内容や知識を交換し合ったり、お互いの試合のときには会場まで応援に足を運んでいました。

中川は勝利を重ね、日本ランキング1位に君臨していました。

僕はチャンピオンになるためにボクシングをやっていますが、中川にもチャンピオンになってほしい。

僕は中川との対戦を回避しました。

4位だったワタナベジムの後輩の木村隼人選手にタイトルマッチを譲りました。

僕は3位から2位に上がることはなく

中川は1位に、隼人は2位になり、王座決定戦が決まりました。

今になって思いますが、お人好し過ぎて当時の自分がムカつきます。。。

王座決定戦は2016年10月16日に行われました。

お互いに熱い気持ちのぶつけ合いで、2-1の判定で中川が新チャンピオンになりました。

”後輩が負けてしまい残念ですが、友達がチャンピオンになりうれしくて、自分としては先を越されてしまった”

複雑な気持ちでした。

トップコンデンター

日本チャンピオン決定戦の勝敗によって友達が1位からチャンピオンになり、2位だった後輩は5位に落ちたことによって、3位だった僕のランキングはところてんの様にスルスルと1位になりました。

日本チャンピオンになった中川はすぐに返上しようか悩んでくれていて、弱っちい僕はそれを密かに期待していました。

そして最強後楽園ミリオンマッチという次期日本タイトル挑戦者を決める試合への出場を決めました。

この試合は日本ランキング上位同士が試合をして、勝ったら日本タイトルマッチの挑戦権利と賞金がもらえます。

賞金は、MVPが100万円、技能賞、敢闘賞はそれぞれ10万円。

とても魅力的です。

もちろん狙うはMVPです。

ですが、僕の階級でエントリーしたのは僕一人のみでした。

(´;ω;`)

ミリオンマッチの出場は叶いませんでしたが、この試合と同じ日に試合が決まりました。

そして10月22日タイ人選手と試合をして1RKOで勝利

日本タイトル挑戦の権利をゲットしました。

(ちなみにこの年の10月10日にかねてより付き合っていた安衣さんと結婚しました。)

”あいつ、返上してくれないかな。。。”

そんなことは無理だと思っていても、最後まで心の奥底では期待していました。

試合決定

ある日、中川と当時ハマっていたラーメン二郎を目黒店に食べに行きました。

そこで日本チャンピオンを返上する意思はないことを知りました。

そんなことわかっていましたが、改めて言われると少しナイーブな気持ちになりました。

「俺ら、試合することになるんだな」

「お互いベストを尽くそう」

そう約束してラーメン二郎目黒店を後にしました。

年が変わり、チャンピオンカーニバルの発表がありました。

2017年3月22日 日本チャンピオン中川健太vs日本ランキング1位船井龍一

あの頃の僕たちに教えてやりたいです。

”お前ら、将来日本タイトルマッチで戦うんだぞ”

本当に最後のチャンス

僕は3度目のタイトルマッチになり、さすがにこれを逃したらチャンピオンになれないと思いました。

”もしこの試合に負けたら今度こそ引退だな”

友達相手のタイトルマッチは嫌でしたが、サポートしてくれていた方のある一言が僕を変えました。

「友達と戦う自分に勝て」

僕はそれから弱っちい自分に勝つために、気持ちを入れ替えました。

この時の戦績は33戦26勝18KO7敗

続く、、、

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