【自己紹介⑤】バンタム級でのランカー時代

前回のブログの続きです。

プロデビューから5年で日本ランキングに入ることができました。

”まさか自分がボクシングの日本ランキングに入ることができるなんて”といううれしい気持ちと

”もっと早く日本ランキングに入れたはず”という悔しい気持ちがありました。

自分で言うのもあれですが、なんとも矛盾してますよね。

ボクサーとしての変化

日本ランキングに入り、ボクサーとしての考えが少し変わりました。

今までは奪いに行く立場だったのですが、日本ランカーになったことでランキングを狙われる立場になります。

でも、日本ランキング入りがゴールではないので、チャンピオンの座を奪いにいくという野望もあります。

奪う立場でもあり狙われる立場になり、さらに気を引き締めていこうと今まで以上に練習内容を考えるようになりました。

この練習は必要なのか、もっと効率よく練習するにはどうすれば良いのか

働きながらボクシングの練習をしているので、練習の効率が大事なのです。

何も考えずに練習をしているだけでは新しい発見やひらめきが生まれず、時間の無駄になってしまいます。

収入源

多くの選手はファイトマネーだけでは食べていけないので、競技以外での収入が必要になります。

僕はアルバイトをして生計を立てていました。

この頃は豆腐の引き売りのバイトと、野菜レストランでキッチンのバイトの2つを掛け持ちしていました。

今までいろんなアルバイトを経験しました。

カラオケ、スーパーマーケット、コンビニ、日払いの引っ越し、甘味屋、ステーキ屋、居酒屋のランチ、野菜レストラン、ラーメン屋、スポーツジム、牛丼屋、スポーツアパレル、フィットネスボクシングジム

書いてみて思いましたが、ほとんど接客業ですね。

ランキングを守る

2010年8月9日に試合が決まりました。

相手はアマチュア出身のB級デビューで当時のプロ戦績は3戦3勝3KOの椎野大輝選手です。

「こっちはプロで16戦してるんだ!負けてたまるか」と意気込み練習をしましたが、結果は2-0でギリギリの判定勝ちでした。

椎野くんは独特のリズムとタイミングを持っていて、更にはパンチが強くて、めちゃめちゃ戦いにくかったです。

2011年2月24日に石田將大選手と試合が決まりました。

相手の石田くんはスーパーバンタム級を主戦場として戦っている選手だったので、54㎏くらいの契約ウエイトで試合をしました。

「1階級上の選手だからパンチには気をつけろよ!」と送り出されましたが、得意の中間距離で序盤からペースを取ることができました。

徐々に”戦いやすい”と油断が生まれ

5R、1発思いっきりパンチを撃ち込まれダウン。

やっちまったーっと思い、立ち上がると相手が2人に見える。。。

パンチが左目に直撃したせいで目がバグりました。

相手にバレないように片目を閉じたり、グローブで隠したり

中間距離だと相手の位置がわかりづらいので接近戦に持ち込んだり、それはそれは必死に戦い抜き判定へ。

結果は1‐2の判定で負けてしまいました。

この試合での反省点は、やりやすいと思った時点で倒しに行かなかったことだと思っています。

ランキングに入っていましたが、当時はまだチャンピオンへの挑戦なんて考えれず守るという意識が強かったです。

ランキングを上げることをあまり考えていませんでした。

その甘さが生んだ敗戦でした。

この敗戦で日本ランキングを失いました。

ランキング復帰

6月17日に復帰戦が決まりました。

相手は2008年全日本新人王の古橋大輔選手です。

この試合は序盤からバッティングでまぶたから流血してしまい、厳しい戦いでした。

普段は中間距離で戦うのですが、古橋選手が持ち込んだ接近戦で終始戦いました。

僕は意外と接近戦も得意だったし、まぶたが切れたし近い距離での戦いは好都合でした。

結果は2-1の判定勝ち

ギリギリの復帰成功です。

9月30日に2010年全日本新人王の柘植雄季選手と試合が決まりました。

この試合の1カ月ほど前に6~7年くらい付き合っていた彼女に振られてしまい落ち込みましたが、「絶対負けられない」と試合への起爆剤になり7RTKOで勝利

2012年2月10日に元日本スーパーフライ級チャンピオンの菊井徹平選手と試合が決まりました。

お互い中間距離が得意なので、序盤からその距離感になりました。

僕の方が身長、リーチで優っていたので徐々にペースを取ることができ、5RTKOで勝利

2012年5月11日にサウスポーの堤英治選手と試合をして7RTKOで勝利

プロで初めてサウスポーの選手相手に勝利することができました。

あ、堤さんは現在うどん屋さんを経営されています。

堤さんTwitter

タイトル戦

この頃にはOPBF東洋太平洋バンタム級ランキングにも入り、日本ランキングは3位に上がっていました。

日本チャンピオンは岩佐選手、東洋チャンピオンはフィリピン出身で日本のジム所属のロリー松下(ロリー ルナス)選手でした。

個人的にはスパーリングでボコボコにやられてはいますが、岩佐選手への挑戦をイメージしていました。

直近の試合でもサウスポーの選手(堤さん)とやったしね。

堤さんとの試合が終わり、1週間ほど身体を休め、ジムに先週に行くと突然、タイトル挑戦の話が舞い込んできました。

そしてあれよあれよと、2012年9月23日に東洋チャンピオンのロリー松下(ロリー ルナス)選手とタイトルマッチが決まったのです。

この時の戦績は22戦17勝11KO5敗

続く、、、

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